The Glorious Nosebleed
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くりごと
「名もなき花などない 名も知らぬ花と言え」

と、いつだか昔、誰かが誰かに言ったと、確か、阿刀田高氏のエッセイで読んだようなあやふやな記憶。
小学生だか中学生の頃に読んだので、記憶があやふやなのは仕方ないですよね。決してボケーっとしてるからではないですよね。



「名もない花はないんです。必ず名前はあるんですよ。」



この二つのフレーズの違いがわかるでしょうか。
前者には「自分が知らないことが世の中にはある」という、己の寸を認知し、世界に対する謙虚さがありますが、
後者には「では知らないことは悪いことなのか」「世界の全てに人智が及んでいるとお考えですか」と問いたいような傲慢さが見えると思うのです。

前者のフレーズを目にした時は、若かったせいもあり、非常に強く印象に残ったのですが、随分形骸化されてしまったんだなと。言葉に手垢がつくとはこういうことかと思いました。



以下、さらに繰言なので、しまっておきます。
感受性の強さを持ち上げる風潮がありますが、感受性が強い=センスがいい、COOLだ、スバラシイでは決してないと思うのです。一つの事象から受け取る情報が多いというだけです。感受性が強いと主に痛みが伴います。自己憐憫とは異なります。その痛んだ感じが太宰治っぽくてかっこいいとか思ってしまうのかもしれませんけど。感受性の強さからきてるっぽい言葉をファッションのようにもてあそぶのは正直やめてほしい。痛みの経験のない言葉を振り回すのは醜くてカッコ悪い。


金子みすずがAC広告でまた再燃しているようですけど、彼女は感受性が強い。強いからこそ、愛するものを守りたいがために死しか選べなかった。彼女の童謡はあまり好みではないけれど、強烈に鮮烈なので、手垢がついて欲しくないもののひとつではあります。



冒頭の「名もなき花」の話に戻って。
私は「名もなき花」でも「名も知らぬ花」でもどちらでもいいと思います。
花も木も、自分に名前があるかどうかなんて、そもそもどうでもいい話。名があるかないかなんて、人間サイドでの話でしかない。

でももし、あなたがその花に心をとめたなら、なんでもいい、あなたが好きと思う名前をつけて呼んでみたらいい。図鑑で一生懸命名前を調べたっていい。名前を呼んで、あなたとその花に絆が生まれれば、それはステキなその子の名前。もしもその子が喜んで答えてくれたなら、それはさらにさらにステキなこと。
[2011/04/06 18:22] | にっき
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